着物しるべの会に来られていた方が、お義母さまから受け継いだ昔の白地訪問着をお召しになって古典芸能の襲名披露公演に出かけたら、着物巧者に囲まれて大絶賛の嵐だったそうです。思いがけず白地訪問着の評判が良くて驚いて、芝蘭堂の横河先生に相談して、京都の染織補正森本さんにお手入れに出されました。
すると染織補正森本さんまでもが、こちらの白地訪問着をいたくお気に召して絶賛!解説動画を以下YouTubeにあげて詳しく紹介されています。
こちらの訪問着の持ち主の方は、しみじみとこうおっしゃってました。「森本染色補正さんへ昭和34年の義母の訪問着をお願いして以来、意識して見ていると最近また振袖も白地に古典柄が出ているようですね。君島十和子さんも娘さんの成人式に千總の白地を選ばれた(数年前)と読みました。すると千總の今年の新作の振袖にこんな白地古典柄が出ていました~^^ 着物は古びませんね」。
そう!そう!白地の訪問着が爆発的に大流行したのは、まさに昭和34年あたりからなんですよ。現在89歳の私の母も持っていました。
富澤希実子著『あのときの流行と「美しいキモノ」』によると、昭和33年に当時の皇太子と美智子様が婚約内定。「お相手は正田美智子さん」と大きく記された新聞号外が配られ、日本中が沸き立ったそうです。そこに掲載された美智子様の白地花束模様の振袖の気品高い着姿が、若い女性のハートをズキューンと撃ち抜き、、、いわゆるミッチーブームの始まりですね。
昭和34年のご成婚を機に、白地振袖、白地訪問着の人気が急上昇!さらに昭和39年の東京オリンピックで来賓の接待や表彰式でメダルを運ぶ若いお嬢様がお召しになっていたのが、揃いも揃って「白地中振袖」ばかり! 白の振袖に立派な錦織袋帯をふくら雀に結んでいたそうです。
流行が一周まわって令和の時代に、白い振袖や訪問着に再びスポットライトが当たっているやもしれませんね。が、それこそ白地の訪問着は人によってはあだっぽく粋に見えたり、逆に思いっきり野暮に見えたりで、気品高く清潔に装うにはなかなか難易度が高いような気がします。(特に私やネ 笑)
すると染織補正森本さんまでもが、こちらの白地訪問着をいたくお気に召して絶賛!解説動画を以下YouTubeにあげて詳しく紹介されています。
こちらの訪問着の持ち主の方は、しみじみとこうおっしゃってました。「森本染色補正さんへ昭和34年の義母の訪問着をお願いして以来、意識して見ていると最近また振袖も白地に古典柄が出ているようですね。君島十和子さんも娘さんの成人式に千總の白地を選ばれた(数年前)と読みました。すると千總の今年の新作の振袖にこんな白地古典柄が出ていました~^^ 着物は古びませんね」。
そう!そう!白地の訪問着が爆発的に大流行したのは、まさに昭和34年あたりからなんですよ。現在89歳の私の母も持っていました。
富澤希実子著『あのときの流行と「美しいキモノ」』によると、昭和33年に当時の皇太子と美智子様が婚約内定。「お相手は正田美智子さん」と大きく記された新聞号外が配られ、日本中が沸き立ったそうです。そこに掲載された美智子様の白地花束模様の振袖の気品高い着姿が、若い女性のハートをズキューンと撃ち抜き、、、いわゆるミッチーブームの始まりですね。
昭和34年のご成婚を機に、白地振袖、白地訪問着の人気が急上昇!さらに昭和39年の東京オリンピックで来賓の接待や表彰式でメダルを運ぶ若いお嬢様がお召しになっていたのが、揃いも揃って「白地中振袖」ばかり! 白の振袖に立派な錦織袋帯をふくら雀に結んでいたそうです。
流行が一周まわって令和の時代に、白い振袖や訪問着に再びスポットライトが当たっているやもしれませんね。が、それこそ白地の訪問着は人によってはあだっぽく粋に見えたり、逆に思いっきり野暮に見えたりで、気品高く清潔に装うにはなかなか難易度が高いような気がします。(特に私やネ 笑)